松輪 松轮

  • 简体中文名: 松轮
  • 别名: 占守型海防艦6番艦
  • 択捉型海防艦2番艦
  • まつわ
  • Matsuwa
  • 性别:
  • 生日: 1942-11-13
  • 体重: 基准排水量870t
  • BWH: 全長77.70m/全幅9.10m/吃水3.05m
  • 图鉴编号: 335
  • 画师: 赤坂ゆづ

推荐本条目的目录

    / 更多目录

    谁收藏了松輪?

    全部收藏会员 »
    海防艦、松輪です…。占守型海防艦の改良型として建造され、
    佐世保鎮守府の部隊に配属されました……。船団護衛や、対潜掃蕩部隊として働きます。
    船団の被害を減らすため……敵潜水艦と戦いました。
    でも……。潜水艦は……怖い……。

    マル急計画の海防艦甲型、仮称艦名第311号艦として計画。1942年2月20日、三井造船株式会社玉野造船所で建造番号325番船として起工。8月20日、「松輪」と命名され、本籍を佐世保鎮守府と仮定し、占守型海防艦の6番艦に定められる。11月13日、進水。
    1943年3月23日竣工し、本籍を佐世保鎮守府、役務を佐世保鎮守府警備海防艦にそれぞれ定められ、佐世保鎮守府部隊に編入。31日、南西方面艦隊第一海上護衛隊に編入。4月1日、同隊軍隊区分北支隊に編入。6日、高雄に向け単艦で佐世保発、8日に高雄着。21日まで高雄-馬公間で行動。22日、軍隊区分東支隊に編入され、746船団を護衛し、マニラに向け高雄発。25日、マニラ着。以後、南西方面や西カロリン方面の護衛に従事。6月8日、軍隊区分西支隊に編入され、シンガポール、サンジャック方面の護衛に従事。11月15日、第一海上護衛隊は海上護衛総司令部隷下となる。
    1944年1月26日-31日まで佐世保海軍工廠で機関修理と電波探知機設置工事。4月25日-5月13日まで佐世保海軍工廠で整備と電波探知機の基礎工事。
    7月28日、軍隊区分掃蕩隊第三掃蕩小隊を「草垣」と編成し、草垣海防艦長指揮下で行動。8月7日に草垣が沈没したため、13日に軍隊区分掃蕩隊第二掃蕩小隊を「屋代」「日振」と編成し、屋代海防艦長指揮下で行動。16日、軍隊区分掃蕩隊第三掃蕩小隊を「佐渡」「日振」「擇捉」と編成し、佐渡海防艦長の指揮下で行動。17日からヒ71船団に同行したが、同船団がアメリカ潜水艦の攻撃により損害を出したため、第三掃蕩小隊(当時は擇捉欠)は遭難現場に留まり、潜水艦の掃討にあたった。しかし、成果は無く、21日には現場を引き払いマニラへ向かう。22日0400ごろ、小隊の各艦は北緯14度25分 東経120度00分のバターン半島マリベレス(英語版)の西方50キロ地点でアメリカ潜水艦「ハーダー」と「ハッド」に発見された。海防艦はルソン島寄りから松輪、日振が平行し、佐渡はその後ろを航行し、三角形の陣形を成していた。攻撃は、0500時-0830時までの間に行われた。まず、ハーダーが日振と松輪を目標に、ハッドが佐渡を目標に攻撃し、3隻は損害を受ける。松輪はハーダーからの魚雷1本が命中して艦体を両断され、艦橋より前方を喪失して航行不能となった。その後、ハーダーの二度目の攻撃でさらに被雷し、沈没したほか、他の2艦も撃沈された。海防艦長の土取英少佐以下乗員134名が戦死、12名が負傷した。残存艦が擇捉のみとなった第三掃蕩小隊は、24日に編成を解かれた。
    10月10日、松輪は占守型海防艦から削除され、帝国海防艦籍から除かれた。

    出演

    吐槽箱

    #1 - 2017-8-22 16:13
    (また図書館に)
    可爱可爱(bgm24)