2023-3-15 15:59 /
このたびは『ウルトラマンメビウス アンデレスホリゾント』をお読みいただき、ありがとうございます。多少なりとも、お楽しみいただけたでしょうか。
自分の著作にあとがきを書いたことのない私ですが、この本を手に取ってくださるのは同好の士であるのは明白ですので、友だちに手紙を書くような気持ちで、ちょっと思ったことを記してみようと思います。まぁ、ただの世間話みたいなものなんですけどね。
さて、しみじみモードで振り返ってみるまでもなく、私とウルトラの付き合いは、かなり長いものになります。
私は昭和三十八年の早生まれですので、『ウルトラQ』が放送された頃は二歳後半、『ウルトラマン』の第一回放送時(昭和四十一年七月)には三歳半でした。そのくらいの歳ですと記憶が始まっているかどうか……という微妙な頃合いですが、映りの悪い白黒テレビのブラウン管の中で、ウルトラマンがベムラーと戦う勇姿を見た記憶がシッカリとあります。その数週間前に来日したはずのビートルズのことはまったく頭に引っかかっていませんが、そちらの方が私には大事件だったのですから、仕方ないでしょう。
以来、この巨大ヒーローに心をワシ掴みにされてしまいました。
当時の子供は多かれ少なかれウルトラシリーズに魂を奪われていたものですが、その中でも私の中毒ぶりは、かなり重症だったろうと思います。まさしく寝ても覚めても……という状態で、絵本や怪獣図鑑を肌身離さず持ち歩いて眺め、家にいる時は、スケッチブックにウルトラマンやウルトラセブン、怪獣たちの絵を描きまくっていたものです。特に気に入っていたボーグ星人を正義のヒーローにした怪しげなマンガを描いた覚えもありますが、敵が巨大化したダリーっていうのは、さすがに自由にやり過ぎですか。
やはり文系……と我ながら思うのは、小学校低学年の頃、登場怪獣の名前とともに、各エピソードのタイトルまで記憶していたことです。
御存じのように第一期ウルトラシリーズの作品には、古き良きSFテイストに満ちた名タイトルが多くありました。たとえば『ウルトラQ』では「虹の卵」、「2020年の挑戦」「鳥を見た」、「東京氷河期」。『ウルトラマン』では「故郷は地球」、「来たのは誰だ」、「禁じられた言葉」、「悪魔はふたたび」、「遊星から来た兄弟」。『ウルトラセブン』では「姿なき挑戦者」、「明日を捜せ」、「ひとりぼっちの地球人」、「あなたはだぁれ?」などなど——ほんの一例ですが、内容を知らなくても、タイトルだけでゾクゾクしてしまう名作ぞろいです。
たまたま放送リストが掲載されている本を手に入れて、私はまるで俳句のように、その作品タイトルを味わったものでした。特に再放送を見るチャンスに恵まれず、かなり後になるまで見ることのできなかったエピソード(家庭用ビデオなど普及していなかった時代ですので、テレビ放送がすべてなのです)に関しては、そのかっこいいタイトルがイマジネーションを刺激しました。
先に挙げたものの中では「ひとりぼっちの地球人」という作品がそれに当たるでしょうか。何度も再放送されたのに、どういう因縁か、その回の時に限って出かける用事ができたり、遊びから帰って来るのが遅くなったりして、見逃してしまうのです。プロテ星人という目玉焼きを二つくっ付けたような顔をした宇宙人が登場することは知っていたものの、どういう話かまったくわからなくて、当時の私は、その物悲しいタイトルから果てしない妄想を広げたものです。もちろん実際の作品とは大きく違っていましたが、それもまたよし……でしょう。
この幼少期の体験が、十代の頃の私の読書傾向を、タイトル偏重主義にしたのは間違いありません。どんなにいい本だと言われようと、タイトルが気に入らなければ、どうしても読む気が起こらなかったのです。残念ながらPTAがすすめるような本にはグッとくるタイトルのものが少なく、どうしてもインパクトのあるタイトルの本に手が伸びました。それが『まだらの紐』であり『屋根裏の散歩者』であり、やがては『人間失格』にたどり着いたのは、ある意味、必然だったのかもしれません。
それらの本にハマッたせいで、私は今のような大人になってしまったわけですが、その原点は第一期ウルトラシリーズにあったというわけです(その割には、私の作品のタイトルが凡庸である……という指摘はカンベンしてくださいね)。
もちろん、それ以降もウルトラとの付き合いが切れるようなことはありませんでした。
熱の入れ方に多少の差はあるものの、その時その時のウルトラヒーローを愛し続け、やがて小説家になった後も、あちらこちらでウルトラへの愛を語り続けてきました。やがて、それが耳に届いたのでしょう、円谷プロから新しく始まる『ウルトラマンメビウス』の脚本を書いてみないか……とのお誘いを受けた時には、まさしく天にも昇るような心地でした。
この『ウルトラマンメビウス アンデレスホリゾント』は、その脚本作品をもとにした三本に、新しい物語を加えてできたものです。新キャラクターや独自の設定などを、おおらかに認めてくださった円谷プロダクションには、この場をお借りしてお礼申し上げます。
また、この作品は“私の中のウルトラ”が基本になっている世界なので、お読みいただいた同好の士のみなさんにも、「ちょっと、ここは……」と物申したくなる箇所がおありだろうということは、よく心得ているつもりです。むしろ、それが当然でしょう。ですから、これはあくまでも『朱川版ウルトラ』として、広大なウルトラ世界の一つの可能性とお考えいただければ幸いです。
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この作品が季刊誌である『ジャーロ』紙上に掲載され、その後に単行本にまとめられてから、多くの時間が流れました。
その間にいくつもの悲しい出来事が起こり、以前とは少し違う世界になってしまいました。その状況が劇的に解決される可能性があるか否かと問われれば、正直なところ、首を傾げざるを得ないでしょう。完全に解決するまでには、きっと多くの時間が必要だろうと思います。
それを抜きにしても、いつも世界は不安定で、人は孤独です。
喜びは移ろいやすいのに、なぜか悲しみや苦しみばかりが重く大きく、心にのしかかってきます。時には、その辛さに弱音を吐きたくなることもあるでしょう。
けれど、私は信じています——ウルトラを愛した人たちは、けして絶望などしないことを。
何せ私たちの心の中には、身長五〇メートルクラスの生物が、ゴロゴロ住んでいるのです。それも二匹や三匹ではなく、まさしく無限といってもいいくらいの数の生物が、私たちの心の中で吠え、暴れ回っているのです。うつむいていると、きっと彼らの住む場所が狭くなってしまうでしょう。
しかも、その中心に神々しくそびえ立ち、胸を張っているのはウルトラのヒーローたちです。どんな戦いに身を投じても、カラータイマーが点滅するギリギリまで戦った彼らが、私たちの心の中には確かにいます。
だからウルトラを愛した人は、けして絶望などしないはずです。どんな難しい状況だろうと、短い三分を積み重ねていくことで、いつかはきっと打ち破っていく……と私は信じています。
そうして遠くにたどり着き、そこから見えたものについて、楽しく語り合える日が来ると素敵ですね。
ではまた、どこかでお会いしましょう。
朱川湊人拝
Tags: 书籍
#1 - 2023-3-15 16:42
(Never knows best)
收录于2013年12月发行的光文社文库版