2016-3-2 00:11 /
日本では神様を八百万の神々と申します。
ところがおなし神様でもあんまり人の喜ばないのがある。
風邪の神だとか、あるいは手水鉢の神、貧乏神、疫病神、……死神なんという。
ええ、こういうのはあまり人は歓迎を致しませんで。

偽りのある世なりけり神無月 貧乏神は身をも離れず
なんという狂歌がありますが……
                  *****

「どうしたんだね。じれったいね。僅かばかりの金が出来ないでウスボンヤリ帰ってきやがって。
お前みたいな意気地無しはね、豆腐の角へ頭をぶつけて死んでお終い!」
「ひでえことを言うなよ。豆腐の角へ頭をぶつけて死ねるわけなんて……」
「死ねるよお前みたいな意気地なしは!
いくらでもいいから拵えろ! さもなきゃウチへ入れないから! 出て行け!」
「出ていかい! ちきしょう!」

妻に追い出された男はぶつぶつと所在無くさ迷った。
「なんて凄いかかあなんだろうな。豆腐の角へ頭をぶつけて、死んで、しまえ、なんて……ぶつけてやろうか、こんちきしょう。
ぶつけたって死なないだろうなあ……。ウチ行きゃあ銭がねぇって、ギャアギャア言われるし、どこに行ったって貸しゃあしねえし。
もう生きてんのが嫌んなっちゃったなあ。生きてたってしょうがねえ、死のう。
どうして死のうかなあ。身を投げるのは嫌だなあ。七つんときに井戸へ落っこったことがある。あんな嫌な思いをするなら生きてた方がいい。どうやったら銭もかからないで死ねるかな」
「教えてやろう」
木の陰からヒョッ、と出てきたのを見る。歳は八十以上にもなろうか。頭へ薄い、白い毛がポヤッと生え、鼠の着物の前を肌蹴て、あばら骨は一本一本数えるように痩せっこけて藁草履を履き、竹の杖を突いた貧相なジジイ。
「なんだなんだ、え、なんだい」
「死神だよ」
「えっ、死!? あっ。ああ、嫌だ。ここへ来たら急に死にたくなったんだ。俺は一度も死のうなんて考えたことなかったんだ。てめえのお陰だな、この。そっちいけ」
「まぁそう嫌うもんじゃあねえ。仲良くするからこっちへおいで。ま、いろいろ、相談もあるから」
「やだよ、相談なんぞ」
「おいおいおい、待ちなよ。逃げたって無駄だよ。おめえは足で歩いて逃げる。俺は風につれてふわっと飛ぶんだから。逃げられやしねえよ。
まあ色々、話もあるからこっちへ来いよ。おめえと俺には古い古い因縁があるんだ」

死神はふわふわと男の目の前に立ちはだかった。
「怖がることはないよ。人間と言うものはいくら死にたいと言っても寿命があればどうしても死ねるもんじゃあねえ。え、生きたくても寿命が尽きればそれでもう、駄目なんだ。おめえはこれからまだまだ、長い寿命があるから心配しなさんな。
おめえに良い事を教えてやる。医者になんな。儲かるぞ。長患いをしている病人の部屋へ入れば、枕元か足元か、どっちかに必ず死神がいるんだ。
足元の方に座っている病人は、こりゃあ助かる見込みがある。枕元へもう座るようになったら寿命が尽きているから決して手をつけちゃあいけねえ。
いいか、死神が足元に座ってるときに呪文を唱えてポン、ポンとこう、手を叩くんだ。そうすりゃどうしても離れて死神が帰らなきゃいけないことになってんだ」

「そ、その呪文ってなんだい」
「いいか、おめえに教えてやるが、こんなこと決して人に喋っちゃあいけねえよ。よく覚えろよ。」
『アジャラカモクレン フジサン テケレッツノパ』

「……あれ、死神? 死神さーん。あっそうか呪文を唱えたから帰っちまったのか」
さっそく蒲鉾板の古いのに覚束ない仮名で看板を書くと、ものの二十分経つか経たないかで最初の客が来た。主人が重病であるという客の後についていくと、病人の足元には良い塩梅に死神が座っている。
「しめた」
「え、なんでございましょう」
「あっ、いやここへ入ってこの襖を閉めたということで……、へへ」
「はあ」
「ところでお礼のところは……」
「ええ、ぜひとも…いかようとも」
「ああ、じゃあ治しますね、おまじないをやります、いかばかりか」

『アジャラカモクレンフジサンテケレッツノパーポンポン』

死神がすっと離れると、苦しそうに唸っていた病人がふっと眼を開け、腹が減ったと言った。
「ああ、天丼でもうな丼でも好きなもん食わせなさい」

さあ、あの先生はご名医だと治った人が言うから間違いはございません。男はたちまち評判になった。
それじゃあ私どもも、手前どもも、と頼まれていくと良い塩梅に、大抵足元に死神が座っている。
たまたま枕元にいると「ああこれは寿命が尽きているからお諦めなさい」と言うと、表へ出るか出ないに病人が息を引き取る。

ああ、生き神様ではないかというえらい評判。
今までは裏側でくすぶっていたやつが表へ出て立派な邸宅を構える。食いたい物も食う。着たい物も着る。
さてそうなると小じわの寄ったカミさんなんざ面白くない。
ちょいとオツな妾かなんか置きましてね、このほうでモタモタされればいいから家の方へは帰らない。するとカミさんはやきもちを焼いてギャンギャン喚く。

「かかあなんていらないから、ああ、子どももつけて金をやるから別れよう」

所帯を全て金に換え、妾と上方へ行って金に明かしてあっちこっちと贅沢三昧で歩きましたが、金は使えば無くなるもの。
さて金がなくなってみると女も消え、一人でぼんやり江戸へ帰ってきたが、一考構えて、さ、俺が来たら門前市をなすだろうという体で待ち構えたがどうしたことか、まるっきり患者がこない。
たまたま頼まれていってみると、死神が枕元へ座っている。

どっかいいところがないかしらんと待ちぼうけていると、麹町五丁目の方で伊勢屋伝衛門という江戸でも指折りの金持ちから依頼が来た。
これならば、と奴さん、てんで勢い込んで行ってみると相変わらず枕元の方へ死神がどでんと座って笑っている。

「……せっかくだがこの病人はもう、助からない、お諦めなさい」
「先生、そこをなんとかお骨折りを……」
「お骨折りったってねえ……寿命がないものは」
「先生のお力で…まことにかようなことを申し上げては失礼でございますが、五千両までのお礼は致しますがなんとか……」
「五千両ったってねえ……寿命がないものはしょうがない」
「ではいかかでございましょう。たとえ二月三月でもよろしいのでございますが、寿命を延ばしていただけたら一万両までお礼を致しますが……」
「い、一万両!? ……なんとかして、寿命を延ばしたいねえ」

男はうんうんと知恵をめぐらせるとひらめいた。
「病人が寝ている四隅に気の利いたやつを四人置いて、あたしが膝をポンと叩いたら途端にスッ、と回してくれ。頭の方が足になって、足の方が頭になるんだ。
一遍やり損なったら駄目だ、いいかい」

夜が更けるに従って死神の眼が異様にギラギラと輝いて、病人がウーン、ウーンと苦しむ。そのうちに夜が明ける、白々とした色になってくる。死神だってそうそう張り切っちゃいられない。疲れたと見えて、コックリコックリ居眠りを始める。ここだなと思い目配せをする。ポンポンと膝を叩く!
『アジャラカモクレンフジサンテケレッツノパーポンポン!!』

死神が驚いて飛び上がって、病人はたちまち元気になった。
さっそく金が届いたと言うので、奴さん酒なぞ飲んで食わえ楊枝で出てきたが……

「うーん、我ながらいい知恵だったねえ。死神の奴ワーッと驚きやがって、ククッ」
「莫迦野郎」
「うわっ」
「何故あんな莫迦な事をするんだ。まさかおめえ俺を忘れやしねえだろ。あんなことをされたんで俺は月給を減らされたよ」
「げ、げ、月給って。あっ、か、金ならこっちにあるからさァ……」
「まあまあしちまったことは仕方ァねえこっちへこい。ここへ降りな。おい降りるんだよ。俺の杖に掴まって来い。大丈夫だよ。ビクビクしねえで早く来い。……おい。ここを見ろ」

「あらっ これは、ずいぶん蝋燭が点いてますね」
「これがみんな人の寿命だ」
「ははあ……人の一生はよく蝋燭の火のようだなんて話は聞いたことがありますが、たいしたもんですねぇまあ。長いのや短いのやいろんなのがある。……あっ、ここに長くて威勢のいいのがありますね」
「それはおめえのせがれの寿命だ」
「へえ、あいつは長生きなんだなあ……。いいなあ。うん。このとなり、半分くらいの長さでボーボー音を立てて燃えてるヤツは?」
「それがもとのカミさんの寿命だ」
「ああ、ああ、ああ、へぇ、なるほどねぇ。あの、ババアの。
で、その横のは? 暗くって短くって今にも消えそうなのがありますね……これ、これって、まさか……」

「そうだおめえの寿命だ」
「お前の寿命だよ。けえそうだ…けえる途端に命はない。もうじき死ぬよ。お前の、本来の寿命はこっちにある半分より長く威勢よく燃えている蝋燭なんだ。
お前は金に目がくらんで、寿命をとっ換えたんだ。
くくっ、気の毒に、もうじき死ぬよ」
「い、命が助かるならなんでもするから」
「……しようのねえ男だ。ここに灯しかけがある。これと、そのけえかかっているのと繋げるんだ。上手く繋げれば、助かるかもしれん」
「早くしないと、けぇるよ。何を震える。震えるな。震えると、けえるよ。けえれば命がない。早くしな。早くしないと、けぇるよ。けぇるよ。……消えるよ。くくっ、あっ、消ェる…くくっ」
「待ってくれ、手が震えちまう」
「早くしな。消えるよ。ほらほらほら、くくっ、……ほーら、消えた……」