大正デモクラシーの喧騒の裏で、マスコミは、政府の失政を隠すようにこぞって「…いずれは社会主義者か鮮人か、はたまた不逞の輩の仕業か」と世論を煽り、市民の不安と恐怖は徐々に高まっていた。そんな中、朝鮮で日本軍による虐殺事件を目撃した澤田智一(井浦新)は、妻の静子(田中麗奈)を連れ、智一が教師をしていた日本統治下の京城を離れ、故郷の福田村に帰ってきた。同じ頃、沼部新助(永山瑛太)率いる薬売りの行商団は、関東地方へ向かうため四国の讃岐を出発する。長閑な日々を打ち破るかのように、9月1日、空前絶後の揺れが関東地方を襲った。木々は倒れ、家は倒壊し、そして大火災が発生して無辜なる多くの人々が命を失った。そんな中でいつしか流言飛語が飛び交い、瞬く間にそれは関東近縁の町や村に伝わっていった。2日には東京府下に戒厳令が施行され、3日には神奈川に、4日には福田村がある千葉にも拡大され、多くの人々は大混乱に陥った。福田村にも避難民から「朝鮮人が集団で襲ってくる」「朝鮮人が略奪や放火をした」との情報がもたらされ、疑心暗鬼に陥り、人々は恐怖に浮足立つ。地元の新聞社は、情報の真偽を確かめるために躍起となるが、その実体は杳としてつかめないでいた。震災後の混乱に乗じて、亀戸署では、社会主義者への弾圧が、秘かに行われていた。そして9月6日、偶然と不安、恐怖が折り重なり、後に歴史に葬られることとなる大事件が起きる―。
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整片叙事的调调,予人一种判决书之感。往好的说,就很还原、很克制;往怀的说,就是闷得要死。其闷,不是让人不明所以的闷,而是“把除高潮以外的场幕剪剩30分钟都无所谓”的闷,乃至是一种“还不如查查日语维基”的煎熬。这村子的乱伦关系够拍成另一部电影了,东出昌大该不会是在本色演出吧。败笔还有影视基地般的外景,处处透出让人出戏的不自然,不是让演员穿个破烂衫就掩盖得了。当然,就题材的敏感性而言无可厚非。整片的天花板就在高潮,哪怕叙事(乃至镜头)角度冷峻过头、演技多少有些浮夸,也无损悲哀且令人毛骨悚然的本色。高潮岂止是对抗受集体主义、军国主义所使的愚民、更是对抗如今愈发"民粹"、“自恋”,愈发越追求“社会性”的时代。在同样“反思”的几十年前“老前辈”面对,本片真算不上拔尖,贵就贵在斗胆延续。