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日本人は「敗北」に感動する 高校野球アニメ「おお振り」の意図 【前編】
日本人被“败北”感动了 高中棒球动画《大振》的意图【前篇】

2010年11月13日 12時00分更新
文● 渡辺由美子(@watanabe_yumiko)



(c) ひぐちアサ・講談社/おお振り製作委員会


「失恋したことない人とは仕事したくないんですよ」――
“我不想和没有失恋过的人一起工作。”——

 そう語るのは、アニメ監督・水島努氏。人気高校野球マンガのアニメ版「おおきく振りかぶって ~夏の大会編~」(セカンドシーズン)の監督を務めた。
动画监督•水岛努先生这样说。他担任了人气高中棒球漫画的动画版《王牌投手 振臂高挥~夏季大会篇~》(第二季)的监督。

 アニメのファーストシーズンでは、主人公の所属する「西浦高校野球部」が、接戦の末、強豪・桐青に勝利するまでを描いた。だが今作では、大会初出場で勝ち登った西浦ナインたちが強豪チームについに「大敗」してしまう結末がメインのモチーフとなっている。
动画的第一季中描写了主人公所属的“西浦高中棒球部”的经历,故事直到经历了一番激烈艰难的交锋之后,战胜了强校桐青为止。但在本作中,主题则是在夏日大会首次参赛中获胜的西浦棒球队最终面对强豪队伍时“大败”了的结局。

 クライマックスは、控えの選手・西広が三振してしまう場面。敗北感がありありと伝わるこのシーンをあえて大写しにする。スポ根モノの代名詞、「努力の末につかんだ勝利」とは真逆にあるものをクローズアップする理由とは何なのか? 水島監督の美学に迫った。
故事的高潮是替补选手西广被三振的场面。敢于把这种有失败感的场面仔细描写,对和体育精神核心的代名词“努力就会胜利”正好相反的事物大书特书的理由是什么呢?让我们来逼近水岛监督的美学。



高校野球に「無敗」はない
高中棒球中不存在“没有失败”



―― 「おおきく振りかぶって~夏の大会編~」(以下「おお振り」)のクライマックスは、西浦高校と美丞大狭山高校との対決でしたが、試合の結末の描かれ方が強く印象に残りました。ストーリーは原作通りですが、アニメでは、西広がバッターボックスに立った瞬間に、音楽が重々しいものに変わるなど、西広へのプレッシャーがかなりクローズアップして描かれていましたね。
―― 《王牌投手 振臂高挥~夏季大会篇~》(以下简称“大振”)的高潮,是西浦高中和美丞大狭山高中的对决,比赛的结尾的描写给人留下了深刻的印象。故事虽然和原作是一样的,但在动画中,西广站在击球手区里的瞬间,背景音乐就变得沉重起来,突出了西广所负担着的巨大压力。

水島 最後のシーンで、最後のバッターで、映像的に盛り上げないといけないですよね。しかもよりによって、控えの子に回ってきてしまったという場面。西浦側の気持ちとしては、ちょっともうやばいかもという気持ちもありました。「おお振り」では音楽に合わせて絵コンテを切っていて、音楽を最初に聴いてから、この音楽はこの場面で使おうというふうに考えながらやっていましたね。
水岛 最后一个场景,最后一个击球手,我们必须把这个场景拍摄得非常精彩。更何况,是打顺偏偏又转回了替补的孩子的场景。西浦方面的心情,可能已经有些不妙了。在《大振》中我们是配合着音乐来切换分镜的,所以最初听到完成的音乐之后,我就想着要在这个场合使用这首,于是也这样做了。


第12話「9回」より
 6点差をつけられた9回、ツーアウトで打席にたったのは、ケガで途中欠場となったキャッチャー阿部の代わりに打順に入っていた控えの選手・西広。「ここで打たなきゃ負けてしまう」という場面で、西浦ナインと応援団の必死の声援を背に、西広は「当たってくれ……!」と強く思いながらも三振してしまう――。
第12集「9局」中。
在落后6分的第九局,两人出局后进入击球区的,是代替因受伤而中途退场的捕手阿部而进入击球顺序的替补选手西广。在“这里不打出去就输了”的场面中,背负着西浦队员和应援团拼死的声援,西广一边强烈地想着“打中啊……!”,一边被三振出局——



(c) ひぐちアサ・講談社/おお振り製作委員会

―― プレッシャーと同時に「負け」を連想させるものでした。西浦の試合の盛り上がりを、なぜ「負けたところ」に置いたのですか。
―― 在压力的同时也让人联想到“失败”。为什么把西浦的比赛高潮放在“输了的地方”呢?

水島 負けるシーンに重きを置いたのは……高校野球ってみんな負けるじゃないですか。全国でたった1校を残して、全部負ける。甲子園で優勝する高校以外は、どんなに強いチームでも、みんな必ず負けを経験するんですよね。高校野球で3年間負けたことがない、「無敗の思い出」なんてありえないんですよ。
水岛 把重点放在输掉的场景是因为……高中棒球不是都会输嘛。全国只剩下一所学校,剩下的全输了。除了在甲子园获得冠军的高中以外,无论是多么强的队伍,大家都肯定会经历失败。高中棒球3年都没输过,“无败的回忆”这是不可能的。

 だから、一番心に残って、観てくれる人が共感できるところって、負けるところじゃないかなと思ったんですね。西浦の場合は全員1年生なので次があるんですけど、普通はそこで終わりですから。
所以,我觉得最让人印象深刻、观众最能产生共鸣的地方,应该就是输掉的地方了吧。西浦的话都是一年级学生还有下次,所以故事一般都到这里结束。

―― 「負ける」ところに共感する、というお話ですが、スポーツドラマであれば、勝つことに共感したり、勝っているシーンをクローズアップすることでカタルシスを得るなど、そういう描き方もありますよね。
―― 要引起观众对“失败”的共鸣,话虽如此,体育作品中也有使人对胜利产生共鸣、通过重点描写取胜的场景而得到观众的情感投入这样的描绘方法吧。

水島 勝てればいいなという希望を描く作品もありますよね。でも僕はやっぱり勝つより負ける方に描いていて、ぐっとくるものがあります。やっぱり痛みの方が共有できるんだと思いますよ、人間って。
水岛 也有描绘想要赢的希望的作品呢。但是我的作品中还是输的比赢的要多,描绘深入触动人心的故事。我觉得人类啊,果然还是会和痛苦的人分享感情的。

―― 喜びよりも、痛みのほうが感情として共有できる?
―― 与喜悦相比,痛楚更能在感情上共享吗?

水島 はい。失恋したことがない人間とは仕事をしたくないです。モテまくっているやつとは、たぶん何も共有できない(笑)。
水岛 是的。我不想和没有失恋过的人一起工作。受欢迎的家伙,大概没法跟他共享什么(笑)。


「負け」こそが次に繋がる
正是“失败”连接着下一次



―― 興味深かったのは、西広が「当たれ、当たってくれ」と、心の中で願いながらの顔がアップになったシーンです。ドラマの描き方としては、当人の顔がアップになって強く願うというシーンは、「逆転のフラグ」だったりしますよね。ところが、あっという間に三振してしまうという。
―― 我很感兴趣的是,一边西广在心中许愿“能打中,给我打中啊”,一边对他进行脸部特写的场景。对本人的面部进行特写加上强烈愿望的场景,作为戏剧性的描绘方法,应该是“逆转的标志”吧。然而,转眼之间他就被三振了。

水島 まあ、現実ってそんなものですからね。願えばすべてかなう……ってことはない。「願えばかなうよ」という言葉は、世の中のいろんな場面で使われるけど、考えてみれば無責任なフレーズですよね。
水岛 嘛,现实就是这么回事。只要许愿,一切就能成真……这是不可能的。“如愿以偿”这个词,在世间各种场合都有使用,但仔细想想,这是个不负责任的短语呢。

 もちろん、願わないとかなわない。だからこそ願うことはすごく大事だと思うんですけど、たとえば子供たちに「願えばかなうんだよ」的なメッセージを根拠もなく安直に送ってしまうのは、ちょっと無責任かなとは思います。努力もしないで、ただ願っていたってかなわないわけですからね。願って、それからなんですよね、大事なのは。「かなうために、じゃあ、具体的に何をするんだ」という。
当然,没有愿望的话也不会实现的。因此我认为许愿是一件非常重要的事,如果把“如愿以偿”这样的信息毫无根据地直接告诉孩子们,我觉得这样做有点不负责任。不努力,只是祈求也没什么用啊。最重要的是,许愿,然后呢? “为了达到目的,那你具体该做什么呢?”。

 その意味で言うと、試合終了後、西広が泣き崩れるんですが、それは負けたから悔しいんじゃなくて、自分がふがいない、その悔しさから泣いているんですよね。
从这个意义上来说,比赛结束后,西广才会哭得不停,但那并不是因为输了才懊悔,而是为自己没有能力,因为这样的悔恨而哭泣呢。

 一生懸命やっているからって、思い通りにいくことはすごく少ない。世の中なんて、そんなことだらけだし。西浦の子たちもそれは分かっているんじゃないですかね。そこから、悔しさをかみしめながら、「願い」のために、「次」を目指して立ち上がって頑張っていく。悔しさは、強く印象づけたほうがいいんです。
很少有事情只是因为你努力去做了就能如愿以偿。世上到处都是这种例子,西浦的孩子应该也知道吧。在那之后,一边咀嚼着懊悔,一边为了“愿望”,以“下一次”为目标站起来努力。这种悔恨,还是给人留下深刻的印象为好。


(c) ひぐちアサ・講談社/おお振り製作委員会

―― 悔しさを描くために、どんな演出にしようと思いましたか。
―― 为了描绘出这种悔恨,想做什么样的演出呢?

水島 試合終了後、西広が泣き崩れるところは、西広の視点ではなくて、お客さんの視点から見せることにしました。カメラで言うと、西広のアップは見せないで、スタンドの応援席から映しました。実際に、高校野球を何度か見に行ったんですけど、負けたチームが最後挨拶に来るシーンって、スタンド側から見ていて、ものすごく感動的なんですよね。いろいろな人が見守っていてくれて、そういうアングルから見せてあげるのが、一番感動的かなと思ったんです。
水岛 比赛结束后西广哭泣的地方不是西广的视角,而是从客人的角度来看。从摄影角度来说,没有展示西广的特写,而是从看台的应援席方向拍摄下来了。实际上我们去看了好几次高中棒球,输了的队伍最后来打招呼的场面,从看台那边看的话,非常感人。有很多人在注视关照着他们,我觉得从这样的角度来看最令人感动。

 対戦相手の美丞大狭山高校も、ムカつくぐらい強いチームにしたかったんです。選手の数も、応援団の大きさも、何もかも西浦より格上というところを強調しました。敵の大きさを描くことで、敗れた悔しさが増す。それって、「次」につながるということですよね。西浦はみんな1年生ですから、高校野球の中でも「その先」がある。
我想把对战对手的美丞大狭山高中也组成一个强到让人不爽的队伍。于是从选手人数、应援团的庞大方面,都强调了比西浦要更厉害。描绘敌人之大,会增强对失败的悔恨。这就是所谓和“下一次”联系起来的地方吧。因为西浦都是一年级学生,所以在高中棒球中也会有“将来”。

 だからもう1つのクライマックスとして、三橋がエースとして立つところを描いています。
所以另一个高潮是描绘了三桥作为王牌站立的时候。


(c) ひぐちアサ・講談社/おお振り製作委員会


監督の仕事には、勝敗がない
在监督的工作中,没有胜败



―― スリーランを打たれて逆転も難しい点差になって、だんだん三橋のコントロールが乱れてくる。それに気付いた西浦ナイン全員が落ち込んだその時、打ち上げられたフライを栄口が取りこぼす。みんなが緊張しているとわかった時に、三橋が「ワンナウトー!」と叫ぶシーンですね。
―― 是被对手击出三分全垒打,这分差已经很难再反败为胜了,于是三桥的控球力受到影响。注意到了这一点的西浦队全员都很失落的时刻,被打上去了的高飞球又被荣口漏接。发现大家都很紧张的时候,三桥高喊 “一出局!”的场面吧。

水島 あそこは三橋を、西浦チームをひっぱっていくエースなんだと印象づけるようなカメラにしました。第2期全体のクライマックスですよね。三橋が自立する――自立と言っていいのかわからないけど、今までずっと阿部に頼りっぱなしだった三橋が、そうじゃなくなったということがしっかり伝わればいいと思いました。
水岛 那里我们以三桥是引领西浦队的王牌这样的印象进行了拍摄。这是第2季全体的高潮吧。三桥变得独立——虽然不知道用独立这词合不合适,但这已经不再是那个至今为止一直依赖着阿部的三桥这层意思,如果能清楚地传达到就好了。


(c) ひぐちアサ・講談社/おお振り製作委員会

―― 負けはしたけれども、さわやかな終わり方でしたね。
―― 虽然输了,但还是很清爽的结局呢。

水島 原作の「おお振り」自体がそうですよね。勝負で言えば、勝っているところだけを描いているわけではなくて、負けているところを丹念に描いていたりする。そして、負けているところを描いていながら、すがすがしいという。アニメの場合は、音楽の影響かもしれません。音楽の方には、「負けたけどすがすがしい、やりきった! という感じにしてほしい」とお願いしました。
水岛 原作的《大振》本身就是那样吧。就胜负而言,并非只描绘胜利的部分,而是精心描绘出失败的部分。而且描绘着输掉的一面的时候也觉得很神清气爽。动画中也可能是受到了音乐的影响。在音乐方面,我的要求是“想要虽然输了,但很爽快,我们尽力了!的感觉”。

―― 「負けたけどすがすがしい」みたいな経験、監督にはありますか。
―― 监督您有没有“虽然输了,但很爽快”这样的经历呢?

水島 どうでしょう。「やり遂げた感」は、作品が終われば毎回ありますけれども。終わったときは、すごく心地いいです。
水岛 到底是怎样呢。“做到了的感觉”,我每次完成一部作品的时候都会有。结束的时候,总会感觉很舒服。

 でも、勝ち負けという形ではあまり戦ってないかもしれないです。監督の仕事って、はっきりした勝敗がないんですよ。販売の面であれば、DVDが売れる、売れないという勝負はあるんですけれど、ただ数字だけを目指しているのかと言われると、そうでもないような気もする。売れるために意に染まないものを作っていいのかという問題もあるし、でもやっぱり売れてほしいし、お客さんもスタッフも、双方満足できるものであってほしいし。そういうところを行ったり来たりすることが多くて。
但是,也许并没有胜与负这种形式的战斗。监督的工作就是没有明确的胜负。如果是销售方面的话,虽然有DVD能否卖得出去的胜负,但是要问我是不是以数字为目标的话,我觉得也不是这样的。我们有着为了能卖出去而是否做些不喜欢的东西也行的问题,但是果然还是希望能卖出去啊,希望能做到让顾客和我们工作人员双方都满意。我就在这种地方不断权衡。


(c) ひぐちアサ・講談社/おお振り製作委員会

―― では、「おお振り」の中では、監督が経験されていないような思いが入っているんですか。
―― 那么,在《大振》中,监督有没有在以前没有意识到的地方得到新感觉呢?

水島 そういう部分もありますね。最近、勝ち負けを意識するようなところがないなと。自分にあまり経験がないからこそ、すがすがしく見せたい、自分の憧れを入れている部分もありますね。
水岛 也有那样的部分。比如最近,没有在意胜负的地方。正因为自己(对在意胜负)没有多少经验,所以才更想清爽地展现出来这部作品,这也是包含了自己憧憬的一面呢。

 「おお振り」のアニメを作るにあたって……これはどの作品を作るときにも思いますが、特に気をつけているところがありまして。憧れているからこそ、思い入れたっぷりに描きすぎてはいけないと思っているんです。
在制作《大振》的动画时……虽说这个是在制作任何作品时都会想到的,但在此次特别注意了。正因为憧憬,我认为在画画时更是不应注入感情考虑得太多。

―― 思い入れがあるものを、思い入れを込めて描いてはいけない?
―― 不能把注入着感情的东西,用注入感情的方式画出来吗?。


「無人カメラ」という冷静な視点
“监控摄像机”一般的冷静视点



水島 カメラなんかは極力、客観視点にしました。これは自分の好みですけどね。西広の三振は、カメラはすごく引いた視点で、3球続けてバットを振るのを早く連続で見せました。カメラの引き方は、原作の漫画よりも引いて、もっと遠いところから撮っています。
水岛 我们尽力让摄影机处于一个客观的视角,虽说这只是我个人的喜好。西广被三振时镜头拉得很快,让他连续三球都挥动球棒,很迅速地连续挥动着。摄影机的镜头移动方式比原作漫画要更用力,从更远的地方拍摄。


(c) ひぐちアサ・講談社/おお振り製作委員会

―― カメラが、主役である西浦に肩入れしてないですよね。西浦のメンバーの思いを伝えるときに、顔をぐっとアップにして視聴者に感情移入させるのに、「打てない」「ボールを落とす」という実際に起った出来事になるとカメラが引いて、“思い”を省いて“事実”だけを映す。ある意味、意地悪なくらいに客観視点でしたね。
―― 摄影机没有偏袒作为主角的西浦呢。在传达西浦队员的心情的时候,会迅速靠近面部特写让观众感受到他们的感情,而“打不出来”“漏接了球”这样实际发生的事情时,镜头则会拉远,省去“心情”,只放映“事实”的画面。从某种意义上来说,这是有点坏心眼的客观视角呢。

水島 意地悪というより、組み立て方として、そっちの方が伝わるかなと思ったんです。「無人カメラ」が好みなんですよ、個人的に。衝撃的な出来事があったとして、衝撃的なシーンをぐわっ、どーんとやるよりは、無人カメラの前で大変なことが起きていた方がショッキングなんですよね。なので、いつも無人カメラを目指しています。
水岛 与其说是坏心眼,倒不如说作为组成方式来说,我认为那个做法更能传达呢。我个人喜欢“监控摄像机”的方式。如果发生了冲击性的事情,比起咣咣地轰炸性拍摄这样的冲击场景,在监控摄像机面前发生不得了的画面给人的感觉更震撼吧。所以,我总是以监控摄像机的方式为目标。

 カメラが引いたところで三振した方が、「みんなが見ている中で」ということが伝わる。しかもあそこは、西広以外、全員敵チームのキャラクターしか映ってないので、衝撃度が増すかなという。
在镜头被拉开的同时被三振,才能传达出“在众目睽睽之下”的感觉。而且那里除了西广以外,所有人都是敌队的人物,所以冲击力会加大。

 「伝わるようにするには、どう伝えればいいか」というのは、そこは冷静になって組み立てていくしかないですよね。西広の最後の場面も、どれだけ自分が冷静になってシーンを作れるかというのをずっと意識していました。
关于“要想传达出去的意图,该如何传达才好呢”这一点,除了冷静下来,然后一点点组装下去别无他法。西广最后的场面也是,我总是意识到自己能够多么冷静地制作场景。

―― どれだけ冷静になるかが鍵ですか。
―― 冷静到什么程度才是关键呢?

水島 熱い気持ちをそのまま乗せるというか、このシーンはいいシーンだから、すごく盛り上げてやろうという思いだけで作ると、たいてい失敗するんですよ。これは本当なんです。自分が熱くなっているときは、だいたい空回りしますね。いや、何度も経験があるんですよ。
水岛 如果是为了把激动的心情原封不动地表现出来,因为这个场景是很好的场景,所以光是想着要让气氛变得热烈的而去制作的话一般都会失败的哦。这是真的。自己情绪激动起来的时候,大多会造成徒劳的结果。唉,我经历过很多次了。

 何か撮りたいものがある。じゃあ、みんなに本当にすごいと思わせるにはどうしたらいいのか。組み立て方を冷静に考えていくほうが、僕の場合はいいんですね。演出について、はっきりとした文法はないのかもしれないんですけど、自分なりのやり方を、自分なりの経験で作っていくしかないと思います。
我有些想要拍的东西。那么,要让大家真心觉得很了不起,该怎么做才好呢?冷静地思考组装方法对我来说比较好吧。关于演出,虽然也许并没有明确的语法,我认为只能用自己独特的经验来制作自己独特的方式了。


(c) ひぐちアサ・講談社/おお振り製作委員会

―― 演出家になってから、どんな経験をされましたか。
―― 成为演出家之后,您有过什么样的经验呢?

水島 なった最初の頃は、自分が思い描いたようなフィルムがもう、全然作れなかったんです。自分で演出したフィルムを見ては、何でこうなっちゃうのかな、という連続で。西浦の子たちと一緒ですよ。最初は素人なので、やりながら間違いを正していくしかないのかなとは思いますね。やっぱり思うようにいかないことだらけですね。それはいまだにですけど。
水岛 在最开始的时候,我完全无法制作出自己想象中的那种影像。看到自己演出的影像时,只能想着到底为什么会变成这样呢,这样的经历持续了很久。我和西浦的孩子们是一样的啊。一开始是个外行,所以我想那只能一边做一边纠正错误了吧。果然到处都是不能随心所欲的事,现在也是这样。

―― 今でもあるんですか。
―― 现在也有这种感受吗?

水島 もちろんありますよ。あれ、おかしいな、ここはもうちょっとうまくいくはずだったんだけどとか。
水岛 当然会有。“咦?好奇怪啊,这里本该做得再好一些的”这样。

―― 思い通りにいかない経験というのは、たとえば昔なら、どんなことがありましたか。
―― 所谓不能随心所欲的经历,如果是以前的话,会发生什么事情呢?

水島 思い通りにいかなかったことは、あんまり語りたくないですね(笑)。だって、それは失敗しましたってカミングアウトしちゃっていることなので。むちゃくちゃ悔しいこととか、自分のふがいなさとかは、自分の中でずっと忘れずに抱えておきます。“次”を目指すためには、それくらいでちょうど良いんですよ。
水岛 对于不如意的事情,我不想多说(笑)。因为,这可是要人坦白自己的失败啊。非常不甘心的事,自己没出息的事,都在自己心中一直没有忘记地纪念着。为达到“下一次”的目标,这样就正好。
#2 - 2019-9-9 12:15
(我们的夏天还没有结束)
后篇原文地址:https://ascii.jp/elem/000/000/570/570683/

日本人は「敗北」に感動する 高校野球アニメ「おお振り」の意図 【後編】
2010年11月20日 12時00分更新
文● 渡辺由美子(@watanabe_yumiko)


(c) ひぐちアサ・講談社/おお振り製作委員会


野球アニメで、あえて敗北にフォーカスする。みんなが共感できるのは、「痛み」だから。
在棒球动画中,故意将焦点集中在失败上。大家都会有共感,是因为“痛苦”。

 記事前編でそんなこだわりを語った水島努監督が、特に苦心したのは「悪役」だった。監督曰く、「悪人が輝いたっていいじゃないか」。
新闻前篇中讲述了这种观点的水岛努监督,特别费尽心思的是“反派角色”。监督说了“坏人能够闪闪发光不也挺好吗”。

 どういうことなのか聞いていくと、そこには若者の輝きに向けた、大人からのまなざしがあった。悪役・呂佳を通して、テンプレートにはまらない、新しい野球アニメの魅力を探っていく。
当我问他这是怎么回事的时候,我看到的是一个注视着年轻人的光辉的成年人的目光。通过演绎反派角色的吕佳,去探索模板之外的、新的棒球动画的魅力。



「悪役」呂佳をクローズアップした理由
特写“反派角色”吕佳的原因



―― 「おおきく振りかぶって~夏の大会編~」では、「負けた瞬間」に重点を置いて描いたというお話でしたが、西浦の対戦相手、美丞大狭山高校のコーチ・呂佳の描写もインパクトがありましたね。第1話のシーン冒頭、「おお振り」らしいさわやかな始まりを予想したところに、呂佳が「いよう、負け犬」と、西浦に負けた桐青野球部の弟・利央に絡むところから始まるという。
―― 《王牌投手 振臂高挥~夏季大会篇~》是以“失败的瞬间”为重点进行描绘的故事,而对西浦的对战对手美丞大狭山高中的教练吕佳的描写也很有冲击力。第1集的场景开头,本该是会让人预想着有《大振》风格的清爽开场,实际却是以吕佳对着在桐青棒球部的弟弟利央说“哟,丧家犬”的场面开始的呢。

水島 そうですね。第2シリーズで初めて「悪役」が出たという感じですよね。
水岛 是啊。在第2季中第一次出现了“反派角色”的感觉吧。

―― 悪役、ですか。呂佳のシーンから始めたのはなぜですか。
―― 是反派角色啊。为什么要从吕佳那一幕开始呢?


勝つために手段は選ばない 呂佳
仲沢呂佳は、美丞大1年で桐青高校野球部のOB。名門・桐青高校野球部でレギュラーになるが、3年生の夏の大会では初戦敗退。そのときの嫌な記憶から、自身は野球を続けずに、桐青中学時代の同級生・滝井が監督をする美丞大狭山高校野球部でコーチを務めている。勝つためには手段を選ばないところがあり、3年生の倉田を正捕手に推薦する代わりに、自分の言うことを聞かせ、ラフプレーを強要する。
为了赢而不择手段的吕佳
仲泽吕佳是美丞大1年级学生,也是桐青高中棒球部的毕业生。在名门桐青高中棒球部中作为正选队员参赛,但在3年级的夏季大赛中首战败退。由于那时不愉快的记忆,自己没有再继续打棒球了,而是在桐青中学时代的同学泷井担任监督的美丞大狭山高中棒球部担任教练。为了取胜,他有不择手段的地方,以推荐三年级的仓田当正捕手为条件要求他听自己的话,强迫他在比赛中进行粗暴的行为。


(c) ひぐちアサ・講談社/おお振り製作委員会

水島 好きだからですね、呂佳が。桐青高校時代、自分たちが3年の代に初戦負けして、しかもそれが自分のサヨナラエラーだったりして、それでいろいろと思うところがあって、結果として悪いやつになっちゃって――何かその気持ちが分かるんです。キャラクターとして人気が出るタイプではないかもしれないですけどね。DVDに入れる未放映分として、「第12.5話」を作っているんですが、そこでも呂佳のエピソードを、けっこう大きめに描いています。
水岛 那是因为我喜欢吕佳这角色啊。桐青高中时代,自己在3年级的时候输了首战,而且那还是自己的再见失误(注:棒球比赛中“再见xx”是一个形容此行为会立刻结束比赛的词,所以此处意思就是因为他的失误而让对面得了分,再也不会有逆转的机会,这样的沉重失误),于是他有了各种各样的想法,结果就变成坏人了——不知为何我能明白那种心情。虽说他作为角色可能不是会受欢迎的类型。而且我们制作了“第12.5话”作为收录在DVD中的未放映部分,在那里也把吕佳的故事相当描写了一番。


「青春」という言葉に引いてしまう
对“青春”这个词感到退缩



―― 「負ける」とか「悪役」とか、結構マイナスの要素に共感されていますね。
―― 在“输”和“反派”之类的非常负面的因素上引起了共鸣呢。

水島 どちらかというとそうですね。負けることとか、悪いやつとかに共感するというのは、たぶん自分の性格だと思います。子どもの頃でも、戦隊ものとか、いつも敵側のほうが気になっていましたから。
水岛 说起来还确实是那么回事。与输掉的地方之类,恶劣的家伙之类有同感,我觉得这大概是因为自己的性格吧。因为即使是小的时候,我看战队什么的,也一直是更在意敌方。

 ……なんか「善人」っていう言葉、うさんくさくないですか。「善人」とか言って、内心はどう思っているんだろう。実はやましい気持ちや、打算的な考えだってあるんじゃないの? とか思いますよ。もし「善人」っていう人があらわれたら、100%信じますか?(笑) 私なら、信じたい気持ちがないことはないけど、やっぱり信じない。
……不觉得“好人”这个词很可疑吗?有些人说是“好人”,内心又是什么样的呢。实际上也会有亏心和打小算盘的念头不是吗?我想是这样的。如果出现了所谓“好人”的人,你会100%相信吗?(笑)我的话,虽然也不是没有想相信的心情,其实还是不相信的。

 それと、「青春」という言葉を自分では使わないんですよ。個人的にはちょっと引いてしまうところがあって。
还有,我自己是不会使用“青春”这个词的。有些地方我个人就有点退缩。


(c) ひぐちアサ・講談社/おお振り製作委員会

―― 「おお振り」の監督が、「青春」という言葉に引いてしまう?
―― 《大振》的监督居然会对“青春”这个词退缩吗?

水島 誤解しないでほしいのは、高校時代とか10代の子がキラキラしているというのは、ものすごく、ほんとにもう痛いくらい感じるんですよ。でもそこに「青春」という言葉を入れた段階で、個人的にはちょっと引いてしまうところがあります。青春というなんだか実態のよくわからない言葉に、商業(ビジネス)っぽい匂いを感じてしまうんですよ。もしくは、他者からの押しつけがましさとか。「高校生はこうあれ」みたいに、おっさんが言っているような。
水岛 希望大家不要误会的是,高中时代或者十几岁的孩子都在闪闪发光,真的是非常非常,让人觉得难以直视啊。但是在进入到使用“青春”这个词语的时候,我个人会稍微有点退缩。因为青春这种摸不着实际的词汇,会让人感受到商业(business)的气味。或者说,像是别人强加给你的东西什么的,让大叔来说 “高中生是这样的”那样。

 高校野球も、あれみんな坊主頭ですよね。「みんな坊主」を強制するみたいなのが引いちゃうのかな。「いいじゃん、ロン毛の高校球児がいたってー」と、僕は個人的には思うんですけどね。高校生が坊主にして3年間というのは、抵抗がある子もいるんじゃないかと。それが嫌で野球をやらない子がいる気もする。もしかしたら、そんな理由で実はイチロークラスの逸材が野球をしていないのかもと思うともったいない。オッサンの思う「善なる若者像」みたいな鋳型に、若い子を入れてほしくないなあと思いますね。オッサンにとって都合がいいだけの存在になってしまいそうで。
比如说到高中棒球,大家发型都是和尚头。如果强迫“所有人都剃和尚头”会让人退缩对吧。然而我个人认为“没关系嘛,也有长发的高中球员的——”。想到高中生要当和尚3年的话,应该就会有抵触的孩子的吧。也有些孩子因为讨厌这种而不打棒球。我想到说不定,基于这个理由,甚至有铃木一郎级别的优秀人才可能选择不打棒球,真是可惜啊。我不想在大叔认为的 “好的年轻人的形象”的模子里放上年轻的孩子呢。这种只是对大叔来说方便的存在。


高校生にジェラシーを感じる
对高中生感到嫉妒



水島 でも、「青春」という言葉を使わないというだけで、若い子を否定しているのではないんですよ。高校生は大好きですね。高校生に対してはもうヤキモチしかないですから。
水岛 不过,并不是说我仅仅因为不用“青春”这个词就否定年轻孩子的。我最喜欢高中生了。因为说到高中生的时候我们除了羡慕之外啥都没有。

―― ヤキモチ?
―― 羡慕?

水島 「おお振り」を作るために2つの高校に取材をさせてもらいました。浦和西高校(埼玉県立浦和西高等学校)と、法政二高(法政大学第二高等学校)です。ジェラシーで頭がどうにかなりそうでしたよ、本当に。だって、彼らの一挙手一投足、すべてが輝いているから。悔しくてしょうがない。
水岛 为了制作《大振》,我去了两所高中进行取材,分别是浦和西高中(埼玉县立浦和西高等学校)和法政二高(法政大学第二高中)。嫉妒差点把我逼疯,真的。因为,他们的一举手一投足,全部都是闪闪发光的。我真不甘心得不得了。

―― 悔しい。それは今、自分が高校生に戻って、ああいうふうになりたいという感じですか。
―― 不甘心。那是因为现在自己想要回到做高中生的时候,也像他们一样的感觉吗?

水島 そういうことじゃなく、「若いってうらやましい」ということです。何であんなに輝いているんだろう。しかも、それを当の本人たちでは自覚してないところがまたいいんですよ。なぜ輝いているのか、実は僕にもわからない。でも、一つのことを一途になってやっているというのはあるでしょうね。あの頃って、何かにはまるととことんやりますからね。
水岛 不是这样,是「羡慕你们还年轻」的意思。究竟为什么那么耀眼呢。而且如果本人没有意识到这一点的话那是最好。为什么那么耀眼其实我也不知道。但是,也许是因为他们一心一意地做一件事吧。那个时候,一旦陷入什么事情里,就会全力以赴。

 法政二高の吹奏楽部には、応援団のブラスバンドの演奏を録らせてもらいました。すごいなと思ったのは、先生に叱られた次の瞬間から音がぐっと良くなったことです。吹奏楽部の子たちが演奏していて、そうしたら突然、先生が前に出てきて「お前らな、負けているチームがグラウンドでお前らの演奏を聞いて、よし頑張ろうって気になるのかよ」なんて怒って。そうしたら、突然音が変わりましたね。
法政二高的吹奏部录制了作品中应援团的吹奏乐队的演奏。我觉得很厉害的是,从被老师训斥了的下一瞬间开始,声音突然就变好了。吹奏部的孩子们在演奏着,然后老师突然出现在前面,说着“你们啊,输了的球队可是在球场上听着你们的演奏,你们真的在乎他们能不能好好努力吗”,气愤不已。这么一来,声音突然变了。


(c) ひぐちアサ・講談社/おお振り製作委員会

―― 監督やスタッフも見ている前で、先生は怒ったんですか。
―― 老师在监督和工作人员面前生气了吗?

水島 はい、僕らも見ている中で。演奏がちょっとでもたるんでいると。高校野球でそんな応援をするのかみたいな感じの熱い怒り方を先生がしたら、もう音がいきなり変わりましたね。その変わった演奏も素晴らしいし、そうやってちゃんと直すという素直さも、両方素晴らしいという。
水岛 是啊,我们也正在看的过程中。演奏稍稍松懈下来,然后就像在高中棒球中应援方大声助威的样子一样,老师非常用力地发怒了,然后吹奏的声音就突然变了呢。那个忽然变了调的演奏也很棒,以及这样好好改正的坦率也是,两方面都很棒呢。


リスクを考えない若さ
不用考虑风险的年轻



―― 浦和西高校では何が記憶に残りましたか。
―― 浦和西高中给您留下了什么回忆吗?

水島 野球部の練習風景とか学校内の様子の参考にするために、何度も見学に行かせてもらいました。あと野球の音を録りにも行きましたね。
水岛 为了参考棒球队的练习风景和学校内的情况,我去参观了好几次。还去录了打棒球的声音呢。

 野球の音なんですが、普通に録音していたのでは録りづらい音というのがあるんですよ。ジャストミートじゃなくて「当たり損ねの音」。それを録らせてほしいと言うと、わざわざ音のために実際にやってくれて。危ないんですよね、当たり損ねの音って。でも、そんな無茶なことを全部やってくれるんですよ。
虽说是棒球的声音,但是普通地进行录音的话,也有很难录进去的声音。比如说不是“精准击中”而是“没能打准的声音”。如果想要录下来这种声音的话,他们就会故意向着这个目的进行打击。没能打准的声音实在是太危险了。不过即使是如此乱来的事都他们都去做了。

 「ワンバウンドした球をキャッチャーがプロテクターで受け止める」というのもあって、ドスッとか、ガスッとか、ちょっと見ていて痛そうで、こちらが「もうそのくらいでいいから」って言うぐらいまで全部やってくれました。
还有“弹地球砸到捕手的胸甲护具上”的声音,咚地一声或者啪地一声,看起来好像很疼的样子。甚至我都说“就这些已经够了”的情况下,他们还是全部都认真去完成了。

―― それはすごいですね。なぜそこまでやってくれるんでしょう。
―― 那真是了不起啊。为什么会做到这个地步呢?

水島 素直なんですよ。すごく。あんまりリスクとかを考えないですよ。大人みたいに損があるんじゃないかみたいな、ブレーキとかもない。考えてみれば、野球をやることじたい、損得でやってるわけではないですから。その計算のなさも、輝いている理由のひとつという気もしますね。
水岛 因为他们很率直,非常率直。没有太考虑风险这些。不像大人那样计算着损失,也没有刹车什么的。仔细想想看,想要打棒球,并不是为了计算得失才去做的啊。我觉得这种缺乏计算也是他们闪闪发光的原因之一呢。

 そういえば僕も、高校時代には自主映画を撮っていたんですが、あれだって何の得があるかなんて考えたことなかったですね。上映会はあっても、コンテストに出るわけでもないし。誰かに見せるとか、パフォーマンスなんて全然なくて、もう撮りたくてしょうがない、何か作りたい、そんな気持ちでやっていましたから。
说起来我高中时代也拍过独立制作的电影,也没去想过那有什么好处呢。既没有上映会,也不参加比赛。完全没有要给别人看或者为了表演的意思,只是非常想拍摄,想做点什么,靠着这样的心情在做事。

 今はもう、そういう一途さだけではやっていないですからね、大人になってしまったので。だから、若さにジェラシーを感じてしまうんです!
现在我已经不再是那样一心一意了,因为我已经变成大人了。所以,对年轻感到了嫉妒!


(c) ひぐちアサ・講談社/おお振り製作委員会


大人は「一生懸命」を隠してしまう
大人会藏起来自己的“拼命努力”



水島 あと、大人になると「一生懸命さ」って表に出さないじゃないですか。一生懸命でも隠す。一生懸命を出すとしたら、計算して頑張っているアピールをするとか。そういうのが高校生だとない。隠さないし、そこが素敵なのかな。泣くときは泣くしみたいな。
水岛 况且,成为大人后我们不就不会再表露出“拼命努力”了嘛。即使在拼命努力也会极力掩盖。如果要表现这种拼命努力的话,就会为宣传这种努力而做些计算。这根本不是高中生。不会藏起来,这种才是非常棒的吧。就像想哭的时候就哭一样。

―― 大人になると、「他人の目」に無自覚ではいられないのかもしれません。
―― 成年之后,可能就无法不在意“他人的目光”了。

水島 そうですね。大人になると「一生懸命」というのは自然に隠しますよね。だから逆に、大人でも必死な状態の人を見ると、すごく素敵だなと思いますね。最近見かけたんですけど、警察官の人が突然何かで呼ばれて、いつもは玄関に置いてある自転車に乗って、ものすごい立ちこぎで、ぶわーって走っていったんですよ。しかも、顔が必死なんです。普通、大人ってどんなに急いでても立ちこぎはしないじゃないですか。素敵だなと思いましたね。
水岛 是啊。长大后会自然而然地将所谓“拼命努力”隐藏起来。所以反过来说,看到成年了仍处于拼命状态的人,就会觉得非常厉害。最近我看到一个警察突然有什么事被叫走,他骑上平时放在门口的自行车,非常快速地站起来踩着脚踏,呼地一声就骑得没影了。而且,神色很拼命的样子。一般来说,大人不管怎么着急也不会站着骑自行车的吧。所以看到这一幕时我觉得很厉害。

 それは本当にのっぴきならない事情というか。明らかにヤバイことが起きたというのを隠せないくらい必死で。普通、大人はヤバイときほど表情を隠しますよね、ものすごく。逆に、その必死さを隠さなかったり、隠してるけどポロリと出たり、そういうところに愛おしさを感じます。
说起来这真的是无法避免。即使很明显地有什么不好的事情发生了,大人还是使劲儿藏着。一般来说,大人在越是危险的时候越是会超凡地掩饰表情。反过来就是说,不掩饰自己的拼命或者虽然隐藏着但又不由自主地流露出来这种地方我觉得很可爱。

―― 当人にとっては大変な状況であるにもかかわらず、その必死さが良いと。
―― 虽然对当事人来说情况很糟糕,但是这种努力性还是好的。

水島 本人にとっては悪い状況でも、「輝いている」ということは素晴らしいと思うんです、傍から見て。
水岛 即使对本人来说情况不好,但我觉得从旁观者的角度来看,“在闪闪发光着”是一件很棒的事情。


「悪人」が輝いたっていい
即便是“坏人”也无妨闪耀



水島 だから、「輝いているもの」が僕は好きなんですが、それは高校球児や警察官だけじゃなくて、悪人が一生懸命やってて輝いているのもいいなと思うんですよ。
水岛 所以说,我喜欢“闪闪发光的东西”,不过不光是高中球员和警察,我觉得坏人拼命努力的闪闪发光也是不错的哦。

―― 悪人が輝く? 一生懸命なら悪くてもいいんですか。
―― 坏人会发光吗?只要拼命努力的话,坏也行吗?

水島 「輝いている」というのと、善人か悪人かというのは、まったく別の話だと思うんですね。
水岛 “在闪闪发光”这种事情和是好人还是坏人,我认为完全是两码事。

―― 「輝いている、イコール善」だと思っていました。
―― 我以为“闪闪发光就等于善”呢。


(c) ひぐちアサ・講談社/おお振り製作委員会

水島 もちろんそれは、そう考える人の自由なんですけど。でも僕にとっては、輝いていることと、良い/悪いは、全然同じ土俵じゃないです。今、便宜的に「悪人」と言ってしまったんですけれども、世の中のほとんどの人が、100%の善人でも100%の悪人でもないですよね。善人悪人って、あんまり白黒決めつけない方がいいのかなと思いますね。
水岛 当然,那是个人见解的自由。但是对我来说,闪闪发光和好的/坏的完全不是同一回事。虽然现在我们为了方便起见说“坏人”,但是世上的大部分人都并不是100%的好人也不是100%的坏人。所谓好人坏人,我觉得还是不要太黑白分明比较好吧。

 呂佳も同じなんですよ。呂佳も、まあどちらかというと「悪人」の範疇に入ってしまうキャラクターで、確かにズルをしたのは悪いことだとは思うんですけど、気持ちは分からないでもない。
吕佳也是一样。不管怎么说吕佳也算是属于“坏人”范畴的角色,确实作弊是件坏事,但我不是不理解他的心情。

 彼は、自分のやっていることが100%悪いことだとは思ってない。一方で、高3のときの試合終了の夢を見てはうなされているというところに、ちょっと小心者的なところも見えたりしてかわいいなと思うんですけどね、僕の中では。キラキラしている悪役がいたっていい。悪役だって感動したり、反省したり、トラウマがあったりする。それは、安直に「二面性」だと言われてしまうこともあるんですけど、それだけで片づけてほしくない。
他不认为自己的所作所为是百分之百不好的。另一方面,他从高中三年级时比赛结束的梦中惊醒,显得有些软弱的样子也很可爱,在我心里是这样觉得呢。有个闪闪发光的反面角色也不错。就算反面角色也会感动、反省、受到创伤。有时候人们会说这是“两面性”,但是我不希望仅此就能概括。

 僕は、「おお振り」以外は、ドクロちゃんとか、ちょっと毒のある作品を手がけることが多いので、周りの仕事仲間に、「(『おお振り』のような)こんなにキラキラしている作品を作っているのは、精神的に無理しているんじゃないの?」みたいにツッコまれることがあるんですよ。とんでもない、ストレートに伸び伸びとやらせてもらっているし、我慢していることなんかひとつもない。
在《大振》之外,我经常参与制作扑杀天使这样比较有毒的作品,所以周围的同事有时候就会吐槽我“你做(《大振》这种)如此闪闪发光的作品,在精神上是不是太勉强了?”。岂有此理,我就直截了当非常顺畅地做了,没有任何需要忍耐的。

―― そういう黒っぽい毒とキラキラしたものに憧れることは、本当に同居できる、同居するものなんですね。
―― 那么黑暗的恶意和憧憬闪闪发光的事物的两种想法居然真的能共存,原来是能够共存的东西啊。

水島 呂佳だって、キラキラしたものに憧れているでしょう。第12.5話でも親友の滝井が言っているんですけど、もう自分も野球をしたくてむずむずしているって。もしかしたら、これからはコーチに留まらず、野球を続けていくんじゃないかという。もしそうなったらと思うと、個人的に楽しみなんですけどね。
水岛 就算是吕佳也憧憬着闪闪发光的东西吧。在第12.5话中好友泷井也说过,自己已经想打棒球想得无法忍耐了。说不定,今后他不会再当教练,而是继续打棒球呢。如果是那样的话,我个人会很期待的。

―― そのあたり、呂佳とご自身がシンクロするような。
―― 就在那一处,吕佳和您自己同步了。

水島 そうですね。だから一番出したかったのかもしれないですね。心の中に黒い部分もありつつ、やっぱりキラキラしたものを絶対に切り捨てられないんですよね。捨てられない憧れに引きずられたり執着するから、野球の方へ行くという。
水岛 是的。所以也许就是这个缘故让他的情节最先出场。虽然心里有黑色的部分,但还是绝对无法舍弃闪闪发光的东西。因为被无法舍弃的憧憬所吸引或变得执着,才会去打棒球。

 呂佳のことを説明するときには、「(『スター・ウォーズ』の)アナキン・スカイウォーカーがダース・ベイダーになったんだよ」と言っているんです。もともとは素直な子なんだよと。そしてまた、いつか元のアナキンに戻りますよと。
在我解释吕佳的时候,我经常说:“就像是(《星球大战》的)阿纳金•天行者变成了达斯•维德”。本来是个坦率的孩子,而且,总有一天会变回原来的阿纳金吧。

 大人というのは、キラキラで一途なままではいられない。呂佳も、大人になる途上なんでしょうね。大人だって、時には必死な形相で自転車を立ちこぎしちゃうような、人目も体面もなりふり構わずなところを周りに見られてもいいんじゃないですか。追いつめられたときに見せる、さりげない人間性が僕は大好きです。
所谓大人就是已经无法一心一意地闪耀下去了。吕佳也在长大的过程中吧。但即使是大人,有时也会拼命地站着骑自行车,让周围的人看到自己不顾别人的眼光和脸面的样子,这样不是挺好的吗?我非常喜欢在被逼到绝路的时候表现出来的无意识的人性。



(c) ひぐちアサ・講談社/おお振り製作委員会
#3 - 2019-9-9 12:38
辛苦了!!
#3-1 - 2019-9-9 15:31
只想当小孩
多谢大佬帮我审文章^ω^